
関西学院大学応援団総部吹奏楽部は、1954年(昭和29年)5月に誕生以来、本年で53周年を迎えました。
戦後大学スポーツの復興に呼応し、応援団活動も活発化する中、音楽を取り入れた立体的で効果的なスタイルへの変身が望まれ、時の団長より大学へ吹奏楽部の創設の請願書が提出されました。当時の大石学長はその趣旨に深く賛同し、2ヶ月も経たないうちに設立準備会が組織され部員集めや楽器の調達が始まりました。
当初は楽器を触るのも初めての初心者ばかりで、簡単なマーチが1〜2曲できるのが精一杯の状態。しかし、部員の熱意と努力は相当なもので、部員も獲得し、また大阪市音楽団から永野慶作氏を音楽顧問に迎え、徐々に吹奏楽団としての体裁と技術を身につけていきました。昭和30年代後半に差し掛かると、応援中心のブラスバンドという域に満足できず、活動の内容を飛躍的に広げることとなります。シンフォニックバンドとしての編成の充実と技術の向上、バトントワラーを取り入れたステージドリルショー、デキシーやビッグバンドスタイルのジャズ演奏。
いずれも他大学に先んじて取り組んできました。
また、アメリカを中心として吹奏楽の新譜情報を得るために、ハーバード大学・ミシガン大学をはじめ、複数の大学と交流をもち、最新の情報を入手。多くの曲を本邦初演してまいりました。また、部内には「吹奏楽研究会」を組織し、バンドとしての運営や吹奏楽理論の情報を集め、機関紙「翼」の発行など、新しい吹奏楽像を目指して取り組みました。
そんな努力が実を結び、1960年代には日本の大学バンドのトップグループに成長することができました。海外遠征も、昭和39年東京オリンピックの最中にカナダ横断演奏旅行を実施。以来韓国・アメリカ・シンガポール・台湾など世界を又にかけて活動しています。また、学生吹奏楽連盟の立ち上げ・運営にも積極参加し、1965年(昭和40年)第一回大学バンドフェアを兵庫県宝塚市で開催。
関西学院大学応援団総部吹奏楽部のモットーは「常にチャレンジャーであれ、フロンティアであれ」ということ。
その伝統は50年の歳月を超えて息づいています。