支部会員のご紹介

 支部会員リレー・新入会員挨拶など

   
 
 
       
          ≪支部会員リレー≫
 

 【第1回~第10回までの会員紹介】          
 
 【第10回】≪昭和卒グループ≫
楢原雄一さん(昭和47年・経済学部卒)

私は岡山県赤磐郡瀬戸町(現在は岡山市東区)に生まれ、高校卒業までそこで過ごしました。まさに日本のインフラが急速に充実された時代で、山陽本線の電化が岡山迄伸びたのが小学校5年、東京オリンピックが中学2年、高校2年の時国道2号線が東から伸びてきて田んぼの真ん中を一直線に造成されて行きました。早速開通したその道を友人と六甲山迄ツ-リング、高校3年の時に新幹線が岡山迄開通しました。そのようにいつも東から新しい物が来ると言う事で、東京は無理でも何とか大学は大阪に行きたいと言う希望が大きくなり親に無理を言って関学に入りました。


あこがれの下宿生活は上ヶ原の農家の方が立てた学生寮、4畳半一間の生活が始まりました。初めて友人と三宮で待ち合わせ。何時の電車に乗る?と言うと「適当に」と冷たい返事。私の田舎では電車は1時間に1本、どこかに出かける時は何時の電車に乗ると言うのが待ち合わせの常識。一人寂しく甲東園から西宮北口に行くと次から次へと電車が来るのに驚いたのが学生生活のスタ-トでした。
入学してしばらくすると学園紛争。ある日突然、徳島大学に入学した高校時代の友人がバイクでやって来て泊めてくれとの事。荷物を見るとヘルメット、どうするのかと聞くと明日関学の占拠の応援というので驚き、一晩だけで出て行ってもらいました。ちなみにこの友人は現在、外科医となっています。

クラブ活動は中学時代から親しんでいたソフトテニスクラブに入部しました。顧問は経済学部の橋本徹先生、学園紛争が激しくなり先生が危険を感じ自宅の蔵書を引っ越しさせたいと言う事で手伝いに行きました。このような縁でゼミは橋本ゼミ、このときの“功労”で何とか卒業できたのでは思っています。

就職は橋本先生推薦の石油会社に入社しました。最初の8年は関西勤務でしたが、以降は関東地区での勤務となり35歳からは横浜市の住人となり今日に至っています。40歳の時、突然英語が必須の部門に異動になり、上司がアメリカ人で20年ぶりに英語漬けの毎日となりました。大して上達はしませんでしたがお陰で、ヨーロッパ、北米、アジアと多くの国に出張する機会に恵まれ見聞を広める事ができました。

62歳で会社を卒業。退職後の交流は会社関係ばかりでしたが、神奈川支部の活動を知りゴルフ、テニス、ミニ講演会、最近は楽しむ会にも参加、大変楽しく過ごさせて頂いています。健康が続く限り参加したいと思っていますので宜しくお願いします。
写真は3年前の米国旅行、ヤンキースアジアムでの大リーグ観戦の翌日、ワシントンDCのホワイトハウス前の土産物店で撮ったものです。演台は大統領の使用するものを真似ているそうです。

⇒次回リレー 中西敏雄さん(昭和48年・経済学部卒)会社の同僚です。


               
         ワシントンDCのホワイトハウス前にて

【第10回】≪平成卒グループ≫

濱岡 俊さん(平成22年・文学部卒)

生まれも育ちも横浜でしたが、受験期に関学の存在を知り、当時の自分にとって未知だった関西文化、神戸や大阪・京都という日本の誇る歴史的な都市、美しいキャンパス、歴史ある心理学科、多くの分野でご活躍されている諸先輩方など、様々な要素に惹かれて関学に入学致しました。

文学部総合心理科学科に合格した2006年2月、今は亡き父と初めて足を踏み入れた関学のキャンパスで体育会馬術部の看板を見つけ、木洩れ日の中で蹄洗場に佇む芦毛の馬を見て馬術部入部を即決した瞬間を、昨日のことの様に思い出します。体育会馬術部では、当時30〜40名の部員と約20頭の馬匹と共に活動し、4回生時には主将を務めさせて頂きました。また、2009年の全日本学生馬術大会では総合馬術競技の選手として出場しました。

学業面では、松見淳子先生(臨床心理学、比較文化心理学)のゼミで、応用行動分析、対人支援におけるアプローチ方法等を学んでおりました。同時に西宮小学校では不定期ながらTA(Teaching Assistant)を経験させて頂き、NPO法人Brainhumanityでは不登校児童の家庭教師等もしておりました。

卒業後は大学院へ進まず横浜に戻り、現在は一人暮らしをしながら都内の半導体製造装置メーカーで働いております。

部活や学科の枠を超え、神奈川支部を通じて更に多くの方々にお会いできる機会を得て、関学が多くの卒業生に愛されている素晴らしい大学だと、改めて心から感じております。最近は、支部の集まりに参加できない日が続いておりますが、皆様お会いした際には是非とも宜しくお願い致します。
⇒次回リレー 小田宗俊さん(平成9年・経済学部卒)

     
     恩師の松見先生と           全学(2009)での学生最後の障害飛越
(心理学科の親友とゼミ同級生の結婚式2015
     (騎乗馬:月墨号)

 【第9回】≪昭和卒グループ≫
夛田桂三さん(昭和42年・商学部卒)

私は関学のおひざ元、西宮で生まれて卒業就職で横浜に住むまでの22年間を過ごした。それから早や半世紀。あの阪神大震災の影響もあり、すっかり様変わりした故郷の西宮。

思い出をあえてあげれば、夙川の風景である。小学校のころ、日曜日ごとに夙川カソリック教会の礼拝に通い、その後皆で川遊び、神父さんに抱かれ、はにかむセピアの写真。毎日毎日バスケ鍛錬で堤を駆けた高校時代。桜と青松の並木をバイクで上ヶ原へ通った道。また青春の日、友達以上恋人未満の彼女との夕暮れのそぞろ歩き。遠い過去だ。

子供の頃抱いていた関学のイメージは頭もよく、かっこいい坊ちゃん学校。町工場で父が働く私には全く無縁の存在だった。自分が関学生になるなんて夢にも考えなかった。家庭事情を鑑み道具や物の要らないクラブを探し、歴史の浅い規模も小さかったユネスコに入会。今は世界遺産登録などで脚光を浴びているが、当時は世間的にはあまり目立たぬ存在だった。私の間尺にあったのか、昼休みの英語フリートーク、夏休みの合宿等平凡だが楽しい学生生活を過ごせた。

母校通信等でクレセント・ファミリーが登場される。親兄弟、子女が関学で学ばれた・・・ 我が家もまたある意味でクレセント・ファミリーである。妻とその両親、義姉、二人の娘も皆同じく月のマークの社章をつけた。学びの4年と働きの36年の差はあっても二つのクレセントの環で「きょういく」「きょうよう」がある。

関学や会社のOB会の様々な行事でカレンダーが埋まって行く。役員幹事の皆さまに感謝しつつ楽しく参加させて戴いている今がある。

 ⇒次回リレー 楢原雄一さん(昭和47年・経済学部卒)

       
       1940年 ユネスコ能登合宿(筆者;前列中央)



【第9回】≪平成卒グループ≫

竹田祐希さん(平成27年・経済学部卒)

 学生時代は桑原秀史ゼミに所属し金融論やマーケティングについて学びました。投資に興味があったため、在学中にAFPの資格を取得しました。現在は空き時間を活用してCFP資格にも挑戦したいと考えております。

 祖父の影響から日本刀が好きで、趣味は剣道、居合道です。休日は刀剣博物館へ鑑賞に行くこともあります。

 卒業後は三井不動産リアルティ(株)に就職し、東京の駐車場部門に配属となりました。施設に付帯する駐車場の開設・運営の仕事に携わっております。

慣れない東京生活に戸惑いもありましたが、はや1年が経ち、段々と仕事が面白く感じられるようになってきました。

 神奈川支部とご縁をいただいたのは、会社の先輩でもある山田清さん(S53卒 副支部長・ビジネス交流会代表世話役)のご紹介がきっかけです。ビジネス交流会、総会に参加させていただき、総会では演武をする機会をいただきました。先輩方の豊富な体験談やキャリアの考え方を伺えたことは、経験の浅い私にとっては大変勉強になり、貴重な1日でした。

 何より社会でご活躍される先輩方とつながりを持てることは、非常にありがたいことだと感じております。今後とも関学同窓と長いお付き合いをさせていただければ幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。
写真は昨年総会での演武と平成卒Gの集まりの時のものです。

⇒次回リレー 濱岡 俊さん(平成22年・文学部卒)

  
  神奈川支部平成会    


 






  2016年初詣・瀬戸神社























































  居合抜き  



   











  







 【第8回】≪昭和卒グループ≫
野口裕さん(昭和41年・商学部卒)

 ~楽しみ(宝)は学生時代の友人、貴重な経験は二度の倒産劇~私の現在の楽しみは、まず小・中・高・大それぞれの同期会です。
①年一回小学校の同期の友とテニスをすること

②中学校の同期会での旧交を温めること
③高校時代のバスケットクラブの同期の飲み会に参加すること
④関学マンドリンクラブ同期のファミリーコンサートに参加すること

以上の各学校での同期会は原則毎年大阪で行っています。また中学校同期(120人)の関東在住者(25人)の世話役は、5年前から小生が担当しており、全員が参加の時をもってバトンタッチをすることにしています。
 加えての楽しみは神奈川支部の「楽しむ会」の遊歩とテニスに参加することです。
 貴重なる経験は、42歳の厄年、60歳の厄年に、多分会員の皆さんの殆どが経験されたことのない辛い二度の倒産劇です。上場会社と中小企業での倒産で、これによってそれまでの楽しい思い出が薄れましたが、その間の苦い経験が今は貴重な財産として残っています。上場会社の倒産では会社更生法が受理され更生会社として存続されましたが、銀行をはじめ多くの中小企業の債権者にご迷惑を欠けながら、又その当時としては、かつて無かった倒産会社が手形を発行しながら、法定の債務を返済することが出来ました。

 以上の如く社会人での旧友は勿論ですが、学生時代の友人, 巡り合えたのは仕事をリタイアーしてからですが「神奈川を楽しむ会」の皆様・「神奈川テニスサークル」諸氏に大いに感謝している次第です。
 写真は幼稚園から高校までの同窓で、おまけに今も住まいが同じ青葉台という友人とのツーショット(於上野、筆者:左)と東京フェスタでの41卒マンドリンクラブの面々(筆者:中央)です。

⇒次回リレー 夛田桂三さん(昭和42年・商学部卒)


     
   マンドリンクラブの面々と(筆者:中央)    幼稚園から高校までの同窓と(筆者:左)



【第8回】≪平成卒グループ≫

高木良一さん(平成13年・経済学部卒)

 理学部卒の父親に続き、親子2世代で関学でお世話になりました。
親子3世代はあるのか、将来の楽しみの一つにしておきたいと思います。

学生時代は春井久志ゼミに所属し、国際金融論を学びました。
アルバイトしてお金が貯まると海外に出かけることを繰り返しており、今振り返るともう少し勉強しておけばと思うこともあります。

卒業後は大日本印刷株式会社に就職し、4年後に東京へ異動となり、その後2度の転職を経て、現在はコンサルティングファームに勤務しております。

神奈川支部への参加のきっかけは、一昨年のビジネス交流会への参加でした。
幅広い同窓の方とビジネス切り口で議論させていただく機会は、自分自身の今後のキャリアを考える上でも大きな刺激となっております。

神奈川支部のメンバーの一人として、若い世代の同窓にその刺激を与えられるように日々成長していきたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願い致します。

⇒次回リレー 竹田祐希さん(平成27年・経済学部卒)

    

 【第7回】≪昭和卒グループ≫
林正和さん(昭和45年・社会学部卒)

 早いもので、思い出多き関西学院を巣立って46年が経とうとしています。私は昭和22年4月9日福岡県北九州市門司で生まれ、頭のどこかで九州男児としての誇りを持ちつつ団塊の世代真っただ中で育ってきました。親父の勤めの関係で住まいは転々とし、小学校は西宮の安井小学校へ入学し卒業は神戸の西須磨小学校でした。中学に進むにあたり4人兄弟の末で、親がとても受験戦争には勝ち抜けないと判断したのか、関西学院の中学部を受けることになり運よくすべり込むことができました。

 親の気持ちとは裏腹に中学入学当初をピークに成績は下降線をたどる一方でしたが、それを挽回するかのように多くの友人をつくり大いに遊び悩んだ青春時代でした。高等部では水泳部、大学はヨット部と水に縁がありましたが、3年生途中で親父の東京転勤等の事情で残念ながらヨット部は途中で水に流れてしまいました。

 卒業後東京の会社に就職のため、忘れもしない昭和45331日大阪万博開会日の前夜、友人たちと一緒に万博会場を一周した後、そのまま新大阪駅で見送りを受けて思い出多い関西を後にしました。それ以来ずっと神奈川県住まいで、葉山、逗子を経て今は藤沢市の辻堂に落ち着いています。卒業後、母校から遠く離れるほど母校愛は強くなるものですね。

 神奈川支部に参加させていただき、この歳になっての多くの同窓の皆様との「めぐり会い」が私にとって大きな喜びです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

⇒次回リレー 野口 裕さん(昭和41年・商学部卒)

       
           KG神奈川テニスサークルの面々と(筆者:前列左) 



【第7回】≪平成卒グループ≫

田地美紀さん(旧姓・関屋、平成12年・文学部心理学科卒)

 田地(タジ)と申します。簡単な漢字ですがシャチハタは特注です。育ちは横浜ですが、中芝とキレイな校舎に心奪われ親を説得し、いざ受験!というタイミングで、1・17が起こりました。泣く泣く地元の大学へ入学しましたが諦めきれず、翌年再受験して文学部心理学科へ入学しました。

 八木ゼミに所属し、やりたい実験を自由にやらせて頂き卒論を仕上げるも、単位が足りず…秋卒業です。(関学の心理学科は「実験心理」なので、実は白衣を着てハミル館で実験の日々でした)
また文化総部軽音楽部に入部し、ボーカルを担当していました。

 卒業後は地元に戻り、婦人服アパレルの営業をしていましたが、結婚を機に転職し、現在は生命保険会社の開発部に所属。生命保険のコンサルティング営業をしています。

 一昨年の神奈川支部総会に初めて参加させて頂き、幅広い同窓の方と出会う機会を頂きました。以後、ビジネス交流会やスピンオフの飲み会など、楽しく交流させて頂いております。素敵な同窓の方々と出会う機会を下さった神奈川支部に感謝です!

 これからも宜しくお願いいたします!

次回リレー 高木良一さん(平成13年・経済学部卒)


                 現職の仕事仲間と(筆者:前列右) 









































































   八木教授と(H12秋)
 【第6回】≪昭和卒グループ≫
水野孝俊さん(昭和57年・商学部卒)

 関西学院との出会いは、中学部、高等部(ラグビー部)、大学(ヨット部)と10年間に亘りスポーツ漬けの学生生活を過ごしたことです。

文武両道と言いたいところですが、学業は常に超低空飛行で良き友人と吉田和夫(ゼミ)教授のお陰をもって大学を4年間で卒業することができ、その後、関西で建築・建材の仕事に励み、H12年から東京で新会社設立に加わり、住まいの安全・安心に貢献する仕事を行っております。仕事では若いころから失敗が多く敗者復活戦の連続でありましたが、持ち前の元気で乗り越えて今では、仕事の成否には必ず理由があるとの信念から「それはちゃうやろ」「なんでや」と部下に激を飛ばしながら楽しく仕事をしております。

 昨年は、横浜スタジアムでの中学部野球部・全国大会、高等部アメリカン・クリスマスボール、元旦の高等部ラグビー部・花園での久我山戦の応援に参加。

現役のプレーに感動し多くの力をもらいました。今年も関東OBを集めて葉山の海へ出てヨット部現役の応援に力を入れ4年後の東京オリンピックに後輩が出場することを願うばかりです。

 神奈川支部では、一番の新参者ですがこれから皆様との交流を楽しみにしております。
  写真は大学3年ヨット部(関関戦)と2015年高等部ラグビー部OB会です。

⇒次回リレー 林正和さん(昭和45年・社会学部卒)


       
          高等部ラグビーOB会(2015年)小林先生(顧問)を囲んで           (筆者:後列左から3人目) 



【第6回】≪平成卒グループ≫

梶川丈夫さん(平成12年・社会学部卒)

 大学卒業後は母校とは縁のない生活を送っていましたが、平成18年にシンガポールへ赴任したことをきっかけに、関学とのつながりを取り戻しました。それは現地情報誌を眺めていたある日のこと、突然、関西学院大学同窓会シンガポール支部の文字が飛び込んできたからです。すぐに幹事の方にコンタクトを取ったところ、定期的に食事会を開催しているので次回から参加して欲しいとのことでした。

 初めての赴任国で知り合った同窓には、現地で事業を長くされている方、キャリアをかなり積んだ駐在員、また私のような駐在員初心者、さらには現地大学に留学している現役の学生など様々な方が在籍しており、同窓会の輪の中に温かく迎え入れて頂きました。そのことをきっかけに、私は同窓会の活動に関わるようになりました。

 その後いくつかの赴任国を経験し、平成24年に転勤で帰国しました。また以前のように母校とは縁のない生活を送っていたところ、神奈川支部より第1回ビジネス交流会のご案内を頂き、参加いたしました。シンガポールでは自分と同じ環境で活動をしている駐在員を中心とした同窓会員の構成でしたが、神奈川支部では女性も含めた幅広い年齢層の方がいらっしゃり、ここでも同窓会の輪の中に温かく迎え入れて頂きました。

それが縁となり、現在はビジネス交流会の世話役や、神奈川支部の幹事の一人として微力ながら同窓会活動に携わっております。私が同窓会との出会いを通じてありがたいと感じたことは、同窓の方々がいつでも温かく迎え入れてくれたことです。そろそろ年齢が40を超えた私ですが、今後は一人でも多くの同世代やさらに若い世代の同窓を、温かく迎えられたらいいなと思っています。

写真は卒業式(平成12年)とワシントン出張時に撮ったものです。

次回リレー 田地美紀さん(平成12年・文学部卒)


 


  大学3年関関戦(北山先輩と)    
























































   筆者の卒業式(平成12年)











 ワシントン出張時の筆者 







  【第5回】≪昭和卒グループ≫
廣野克己さん(昭和36年経済学部卒)

 1961年に母校を卒業して直ぐに東京、京橋に父の友人が経営する会社に就職し、東京に来て早や55年経ってしまった。私の人生の3分の2が関東住まいです。
 上京当初は同窓会東京支部に所属して清水鷹雄さんと言う三菱重工業の副社長だったと記憶する方が支部長のもと、会計監事という役目でお手伝いさせて頂いて居ました。

 私は昭和40年に独立して小さな企業を立上げて居たのですが、その後東京支部から横浜支部が分離、創設される事に為り、私は隣合わせの街なのに上手く往くのかな?と危惧した事もありました。
 今日、神奈川を楽しむ会で同窓の老若男女の大変多くの方々にお会いでき、また老境に入った私に毎月のスケジュールを書き込む歓びをお与え下さるのも、神奈川支部の夫々の部門で御奉仕して下さる担当の方々の努力の賜物と心から御礼申し上げます。

 高等部、大学とヨット部に所属して、まるでバカの様に練習しました。大学時代、地元、西宮港も含めて2度の全日本大学選手権優勝の経験が何よりの想い出でしょうか。学業もそこそこガンバリましたが・・・。
 ヨット部学生諸君が関東への遠征時は葉山か江の島です。最近も結構強豪校です。同窓の皆さまにはその節には応援、観戦してあげて頂けますと何よりも心強いものになるでしょう。

 写真は卒業後間もない頃のセーリング姿(西宮沖)、2011年第40回四大学OB戦でKGヨット部OBの面々と撮ったもの(筆者は最前列左)です。

次回はヨット部後輩で現・関東OB会会長の水野孝俊さんにリレーします。

       
       2011年第40回四大学OB戦KGヨット部OBの面々(筆者は最前列左) 

⇒次回リレー 水野孝俊さん(S57年・商学部卒)



【第5回】≪平成卒グループ≫

中條正裕さん(H10年法学部卒)
 
「なかじょう」とよく読み間違えられるのですが、「ちゅうじょう」です。

学生時代は岡俊孝先生の「外交史ゼミ」に所属していました。 一方で、結成されて日が浅かった「関西学院討論倶楽部」(現在の文化総部「関西学院ディベートクラブ」)に入り、真剣な討論・ディベートから雑談まで花を咲かせておりました。私はディベートが苦手だったのですが、個性的かつ温かい部員達のおかげで居心地が良かったです。

卒業後はIT系の会社に就職し、東京に赴任しました。10年勤めましたが、縁あって横浜市役所に転職しました。東京から勤務地が変わったことから横浜市民となり、早くも7年が過ぎました。

関学同窓会神奈川支部の存在を知ったのは、2014年秋に届いた支部総会案内の葉書がきっかけでした。勇気を出して参加してみると、先輩方が気さくに接してくださり、「やっぱり関学っていいな」と感じました。

今後も同窓の方々との交流を深めつつ、社会における自分の立場を全うし、「さすがは関学出身」と言われるよう、がんばっていきたいです。

写真は、1999年に棘吐会[いばらかい](旧講演部OB会)と討論倶楽部(現役世代)との間でディベート対決が行われた際、演壇で司会をした私です。 もう1枚は2014年に高千穂に旅行で行ったときのものです。

次回は神奈川支部総会やビジネス交流会を通じて親しくさせていただくようになった梶川さんにリレーします。

⇒次回リレー 梶川丈夫さん(H12年・社会学部卒)






     卒業後間もない筆者の セーリング姿(西宮沖) 






















































      筆者の学生時代











 現在の筆者(高千穂峡にて) 








【第4回】≪昭和卒グループ≫

内藤泰夫さん(S36年・商学部卒)

私が同窓会横浜支部(神奈川支部の前身)を尋ねたのは30年近く前、昭和の終わりごろです。それまで勤務していた東京から横浜へ勤務地が変わり、地元の同窓生諸氏との交流を図るべく当時の横浜支部長の長尾霞さん(S14・旧制中学卒)に電話をしたのがきっかけです。早速、野毛の中華料理店で行われた幹事会に呼ばれ、即幹事の一員に加えられた次第。

間もなく金光秀憲支部長(S34年・商卒)に代が変わり、女子同窓会(シオン会)とも統合され、新たにスタートした。総会を盛り上げるべく金光支部長が奔走され、多くの企業からのご提供による豪華な景品が当たる「くじ引き」等、当時の楽しい記憶の一つです。

学生時代はマンドリンクラブに所属し、楽しい4年間を過ごした。写真は大学3年の時、青山学院大学との合同演奏会で上京した際の西山禎一君(右側 S36年・商卒 元同窓会東京副支部長)とのスナップと、2002年関西学院会館オハラホールで行われたマンドリンクラブ昭和36年卒同期会(ケボニト会)で撮ったものです(右端が筆者)。

         
                     右端が筆者 (マンドリンクラブ同期会)

次回リレー 広野克己さん(S36年・経済学部卒) 


【第4回】≪平成卒グループ≫

緑 麻依子さん(H12年・文学部日文科卒)

三日月のマークにときめき、キャンパスの素敵さに一目惚れして受験しました。合格してはじめて、自宅のある滋賀県大津市からは2時間半もかかることに気づいて驚いたのを覚えています。あまり後先のことを考えず、直感で生きてきたんだなと改めて思っています。 

その感覚のまま、九州本社のチロルチョコ株式会社に営業職で就職。そこで今の主人と出会い結婚、2年目で寿退社しました。今は、中1・小6・小43人の子供の母親として、またこの9月からは日本生命に就職し、人生の第二のステージをスタートしました。やるからには日本一を目指してがんばります。

去年の11月にはじめて神奈川支部の総会に参加し、同窓の方々と交流する機会をいただきました。高木支部長には着付けを習い、長男の卒業式に着物で出席しました。平成卒の先輩メンバーには就職のお祝いをしていただきました。

人との出会い、つながりがほんとに素晴らしいものであると感謝する気持ちでいっぱいです。今後とも、たくさんの人と出会い繋がって人生を楽しみ続けていきたいです。

     
             右端が筆者 (筆者のご家族と一緒に)

⇒次回リレー 中條正裕己さん(H10年・法学部卒) 






     筆者の学生時代 (右側:西山禎一さんと)















































     筆者の卒業式にて (ゼミの玉置教授と)





 

 【第3回】 ≪昭和卒グループ≫
山野上由美子さん(S37年・文学部英文科卒)

大学を卒業して、はや53年の月日が経ちました。私は、近鉄奈良線の富雄から4回の乗り換えで、約2時間近くかけての通学でしたから、部活動はしておりませんでしたが、青い中央芝生や、時計台に魅せられ、明るくきれいな校舎で学べる幸せを感じる4年間でした。

当時は、現在と違い就職する女子学生は少なく、環境も整っていませんでしたので、私もその年の秋には、ゼミの瀧川元男教授のお世話により、縁あって同窓生の山野上へ永久就職する事となり、現在に至っております。

関西学院との出会い、先生との出会い、そして主人との出会いがあって今の私がございます。この年になりますと、悲しい別れもあるのですが、これからも、神奈川支部の活動にできるだけ参加させて頂き、同窓生との出会い・繋がりを大事に過ごせれば・・と思っていますので、どうぞよろしくお願い致します。

写真は昭和46年文学部卒の高島実さんとのツーショットです。一昨年の総会の出会いで、高島さんが小学校の後輩という事が分かり、ビックリ!! 

⇒次回リレー 内藤泰夫さん(S36年商学部卒)


 




筆者(同窓の高島実さんと)
 
【第3回】≪平成卒グループ≫
来見田(クルミダ)雅也さん(H9年・理学部化学科卒)

簡単に私の経歴を記す。1997年(H9)に理学部化学科(今は名称・形を変えた学科になっているようだが)を卒業。文系華やかな中で色々な意味で「隔離(理)学部」と呼ばれていた。

 試験管やフラスコを振る日常は向いていないと判断し製薬会社の営業(正確にはMR:医薬情報担当者)の道へ進み、途中に一度の転職を経て千葉県⇒沖縄県⇒神奈川県と勤務地を変えて現在に至っている。

日常的に病院内の割と奥深くへ出入りしている関係上、薬を通しての医療現場の光と影、様々な人間模様に遭遇する。ここで医療あるあるネタを語るには紙面が少なく割愛するが、普通の人達よりは健康ネタや医療ドラマにツッコミを入れる知識がついたのはこの仕事の役得である。
 今の医療、これからの医療に薬が不可欠なのは変わらないが「くすり」を逆に読むと「リスク」になる事を忘れずにがんばっていきたい。


      
                  当時の筆者 (桑名研究室の一同と)

⇒次回リレー 緑 麻依子さん(H12年・文学部日文科卒)





 
 【第2回】≪昭和卒グループ≫
田中喜信さん(S33年・経済学部卒)

私が初めて神奈川支部、当時の横浜支部の総会に出席しましたのは、平成元年に剣道部の大先輩・大島良雄氏(昭和18年法卒)から誘われた、横浜中華街での第19回総会の時でした。この総会には30人近くの同窓生が集まって来られ、その中には金光秀憲さん(昭和34年商卒)も夫人同伴で初参加されておりました。
話題は「この同窓会をもっと活性化するためには、どうしたら良いのか?」という事でしたが、この日の総会決議として

①支部名を「横浜」→「神奈川」に変更して対象範囲を拡大する
②出席人数「100名以上」を目標に名簿を集め、案内状を出す
③来年の総会は人の集まり易い横浜駅前の「横浜そごう」にする
④来年の講師は金光秀憲さん=演題は「プロ野球界雑感」とする等々が決まりました。

 翌年の平成2年の「神奈川支部の発会総会」は81名もの同窓生が参加する画期的な総会となりました。
この総会がご縁となりまして、その後、金光さんが平成5年に支部長に就任され、平成19年に退任されるまでの14年間、ご一緒に、私は副幹事長→幹事長を努めさせて頂き、その後も引き続き、総会には毎年出席させて頂いています。
 写真は私たち昭和33年剣道部の卒業生8人の中の生き残り5名で、今年中に全員が満80歳を迎えますので、その「傘寿記念」に新装なった姫路城を今年の5月、訪問した際に撮ったものです(中央が筆者)。


           
                  傘寿記念(中央が筆者)

⇒次回リレー 山野上由美子さん(S37年・文学部英文科卒)





 
 

【第2回】≪平成卒グループ≫
天野海走さん(H11年・神学部卒)

大学を卒業して20年近くが経ちますが、上ヶ原での楽しい思い出は今でも時折思い出します。在学中は、啓明寮で過ごしました。70人の男だらけの生活はむさくるしいものでしたが、寮ならではの濃密な人間関係の中で過ごせたことは良い経験でした。また、神学部は小さな学部だったこともあり、今でも同窓のつながりも強く、様々な場面で助けられることがあります。

 現在は、横須賀学院で宗教主任を務めています。関西学院からは、指定校推薦を頂いており、毎年1~2名の生徒を関学に送っています。関学に進学する生徒と大学の話をしたり、母校を訪ねて帰ってきた生徒が上ヶ原の近況を知らせてくれることなどは、とても楽しいことです。

 これからも、神奈川ではまだまだ知られていない関西学院の魅力を中高生にPRしていきたいと思います。そして神奈川支部の皆様と一緒に、たくさんの後輩を神奈川から生み出せたらと願っています。

⇒次回リレー 来見田雅也さん(H9年・理学部化学科卒)




 
       学生時代 (啓明寮の寮母さんと)

  
  近影(横須賀学院)
 
                                                                    
     

【第1回】≪昭和卒グループ≫
大島良雄さん(S18年・法文学部卒)

1919年東京生まれで96歳です。母校関学は1941年に専門部文学部を卒業、43年10月に法文学部を繰り上げ卒業して兵役に就きました。帰還後サラリーマン生活を経て米国神学校に留学し、54年仙台尚絅学院のチャプレン・教師に就き、60年から関東学院大学のチャプレン・教授として90年まで務めました。退職後は日本に於けるバプテスト派宣教師の研究に従事し、また今も定期的に大学図書館で貴重書の解題の講義をしています。

 横浜支部(現・神奈川支部)では71年設立当初より優れた多くの同窓と出会い豊かな交わりを楽しみながら励ましを与えられました。文学部1年生の時、関学二代目院長であった吉岡美国先生の倫理の授業で教わった
Mastery for Service, Mastery for Efficiency, Mastery for Christianity のスクールモットーを人生の指標として今も歩んでいます。


⇒次回リレー 田中喜信さん(S33年・経済学部卒)


    
 横浜支部(現・神奈川支部) 発足当時の『母校通信』を手に

  
   大学では剣道部でした
       
   



【第1回】≪平成卒グループ≫ 
徳田有希子さん(H18年・文学部史学科卒)

学生時代は、海の解放感と爽やかな先輩たちに惹かれて、全国制覇を目指す体育会カヌー部に入りました。史学科では学問の深さと難しさに頭をうならされ、教職の授業は熱い思いを抱いて最前列で受け、空きコマは乗艇のため自転車で大学と芦屋浜を往復し、夜には学生会館でアメフトの大きな選手に混ざってトレーニングに励むという、忙しくて熱い(暑苦しい?)学生生活を送っていました。
 キリスト教主義の私立中高へ就職後は世界史教員として、生きた教材に出会うため(趣味?)海外旅行を重ねてきました。中でもNGO活動を通して何度も訪れたバングラデシュやネパールなど南アジアの国は、人との距離感が近くて特に好きです。
 生徒には世界と人間に興味を持ち、自分と異なるものを大切にできるバランスの取れた人に成長してくれることを願っています。様々な所で活躍されている同窓の方々との繋がりがあるということは大きな励ましです。これからもよろしくお願い致します。

⇒次回リレー 天野海走さん(H11年・神学部卒)







  
NGOで訪れたバングラデシュにて
  

  



 

 神奈川支部 事務局  
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